①移動
ルート略図
南小谷駅
北陸本線
猪谷駅
京成谷津~京成船橋、JR船橋~JR東京~三鷹~高尾~甲府、友人宅で一泊、JR甲府~JR塩尻
~松本~南小谷~糸魚川~富山~猪谷~高山
電車で向かった。時間もかかったし、お金もかかった。自分としてこの方法のどこが良
かったか確信を持って言えることは、まだできない。出発前の考えとしては、自分の住む町から数河までの風
景の変化を掴みたかった。
大糸線区間の雪の量の変化は、大きかった。飛騨山脈に沿って進む線だ。飛騨地方も豪雪地
帯だが、反対側に位置する大糸線が通る安曇野群、白馬、南小谷も進むにつれ雪は多くなり、数
河までいかないが、雪下ろしをする人がいたり、車は雪で埋まっていたりした。大糸線は高山
本線同様、ディーゼルエンジンが駆動力であり、一車両。電車のように電線などを張ると、線にツ
ララがついてしまったり、雪がついて接触が良くなくなったり、わざわざ雪の中、点検に行くのも大
変だからとかんがえる。
終点糸魚川駅に着くと、すでに雪は無く、気温も暖かかった。日本海沿岸も全て雪だと思ってい
いたので、衝撃だった。糸魚川と富山を結び、日本海に沿って走る北陸本線での車窓で雪を見る
ことは少なかった。雨も少し降っていた。
しかし、富山駅から高山本線に乗り、高山に向かうと、再び雪の量は増えていった。
ルートとして、飛騨山脈を迂回するルートとなった。時期というものがあるだろうが日本海沿岸
部よりも山脈部の方が雪は圧倒的に多かった。山脈が寒気を受け止める様子が見れたと思う。
②カマクラ
図1
図2
図3
写真1
写真2
B-B断面図【図3】、入り口側(左側)からと、ストーブのある垂直な壁がある右側から、両側から攻めるように、雪を掘り出し空間をつくっていった。
まだ、両方の空間がつながらないとき、両方の空間をつなげて大きな空間をつくるという考えは
始める前に共有していたものの、雪が両方の空間を隔てていることや、向かい側の空間に行くのもひと手間かかるため、それ以外、作り出してから思いついた考えは、あまり共有できなかったと思う。そのため、それぞれの空間の作り手は、大きな空間をつくること以外については、全く違う考えを膨らましていたと思う。雪に囲まれて一人で作業していたこともあるだろう、、、掘り始めた場所の環境の違いもあるだろう、、、、と思う。
母屋(出入り口の一つとして使っていた茶室)に接している左側から掘り出した作り手は、人の出入りが多く、人と接する機会も多かったので、外部、他のカマクラとの繋がり、人の移動や流れ、どう使われれば良いのかということを主軸に考えていた。 “テーブルがあれば、何か乗せられるので、なにかしら使われるだろう。そしてお酒でもおけば人が集まる。立って飲んだ方が濡れない、雪に接する面が少なれば冷えも少ないだろう、、、Barかな。一人くらい座れる場所をつくれば、立ち疲れた人や、話疲れた人が順番に座り、人の入れ替わりができ、動きができそうだ。それによって会話も変わり抑揚が出来る。面白そう” と考えていた。
一方、右側から掘り出した作り手は、雪の面に対して直角に掘り出した。体はどんどん雪にうまり、周りは雪と空、そして、どこからか響くもう一人の作り手がスコップで雪を削るかすかな音、たまに様子を見に来る人ぐらいだっただろう。目に、耳に、入る情報は減っていっただろう。そして、研ぎ澄まされていっただろう。相手のスコップの音にも初めに気付いた。見上げれば空、見回せば雪しか目に入らない状態で掘り進む。その中で見つかった「木」というモノは砂漠の中から水を見つけるのに近いものがあると思う(新しいモノが目に入る喜び?)。それは母屋の裏庭にある母屋から伸びる木の橋だった【写真1】。二つの空間が初めてつながったとき、「この木がここから出てきたことに意味がある」と聞いた。
今回の雪は、容易にスコップで削れ、掘ることができ、雪をブロックで切り出すこともできた。削った雪をもう一度つけることもできた。雪自体が凍ってしまって固まることもなく、パウダースノウのようにサラサラして塊にならない、ということもなかった。雪の状態としては、とても良い状態だったと思う。くっつけることができる、容易に削ること、掘ることが出来るということは、試すことと修正が何度もできる、ということだろう。
だから初め考えの違った空間も上手く、くっついたのだと思う。互いの空間がくっつくとこで、何度も試すことができた。テーブルと木の橋の位置を見ながら雪を削っていった。テーブルと木の橋の位置を何度も調整した。そして木の橋は足場になった。
木の橋の足場は、固い平面をつくるのが難しい雪と違い、固く凹凸のない固定された足場が出来るので安定して立っていられる、熱を奪われるスピードも雪に比べて遅い。そして木の台も掘り出された。木の台は、ストーブの台として使われた。寒いカマクラの中で、暖をとれることは体力を使わず快適に過ごせる。
足場の位置、ストーブの位置、これらは絶妙な位置だった。足場からストーブの距離はちょうど良く、熱くもなく、しかしちょうど手が届き、ストーブで調理が可能だった。夏につくられたので冬に使われることは、考えられてはいないし、ましてはストーブを置くことを考えてもいないから、この使い方全く新しいものだろう。この木の橋と台が夏だけでなく、冬にも使われたことで、この二つは夏と冬の記憶を二つ持つことになり、夏に冬を考える、冬に夏を考えるきっかけをつくる一つになると思う。
暖をとることについて失敗があった。
・テーブルの高さが高すぎた。テーブルの高さを七輪なしに考えていたため七輪の熱が胸部よ
り上にしか当たらなかった。ストーブの熱も上昇するからどうしても上部に熱がいってしまうだ
ろう。テーブルの高さを人体だけでなく、七輪込みで考える必要があった。
・足元の暖房を考えていなかった。雪の上にブルーシートなどの敷物を敷くだけでも体温を奪う
スピードは大きく違っただろう。
・カマクラの密閉性を考えていなかった。出入り口が常時空いていたため、冷気が入りこんでい
た。ブルーシートや板で塞げばストーブや七輪、人体の発熱を逃がすこともなかった。
外よりは温度差で暖かいと感じていても、実際は快適な温度よりはるかに低い。耐えられる温度は、個人差がある。そのため、温度により人の出入りに制限がかかってしまった。
2015/3/1 9:35